練習生の姿勢 闡提2

前回は指導者について論じてみましたが、今回は練習生について論じます。練習生の中でも詠春拳に入門して向上をするに当たって障害となるもの、または練習生の向上を阻むもの、またはそう言う状況になる練習生を客観的に分析した事について若干の私見を披露してみます。以下の文章は全くの個人のつたない指導経験による主観であり、全ての詠春拳修業者に当てはまるものではありませんので悪しからず。
練習に来られなくなる者
練習に来ない練習生にはどんなにやる気があっても向上する事は不可能です。指導者としてもどうする事も出来ません。そもそも練習に来ない事自体、練習生は不誠実と考えられます。当學院では「最初の1年間は何があっても定期的な練習に参加できる事」が入門の条件です。習い事を初めて1年を経ずして辞めてしまう様な無駄な事は詠春拳は厳に戒めています。入門後1年以内に定期的な練習に参加しない練習生は、無駄を嫌う詠春拳の教えに従って容赦なく降格や除名処分となります。

また、諸事情によって練習生が練習に来られなくなる場合がありますが、本来ならば佛・菩薩の加護によって障害無く練習に無事来られると言うのが一般的です。一方、佛・菩薩の加護が得られず、いかなる理由であっても練習に参加できなくなる事象が起きる事自体、練習生本人の不徳の極みであると考えられます。従って単純に練習に来られなくなると考えるのではなく、詠春拳を修業する資格がないと佛・菩薩から判断されているとその事象を通して考えます。

来られなくなる人は色んなもっともらしい理由(家族の介護、職場の多忙等)を挙げますが、理由の如何を問わず、この様な事態になる事自体、佛・菩薩から見放されている人と判断しています。尤もこの様な事象は正統詠春拳の場合のみ適用されます。それ以外はその限りではありません。

正統詠春拳の場合は人を選びます。佛・菩薩から選ばれた人しか円満に修業を全うする事はできません。そう言う意味では修業半ばで練習に参加できなくなる練習生は闡提(せんだい)です。

根気のない者
詠春拳を効率よく習得しようと思えば、自分自身で不正な部分を修正できる能力が不可欠です。自分の挙動を客観的に分析でき、不正な場合は修正を施せる練習生は他の練習生と比べて段突に習得が早い傾向があります。しかし、そんな練習生は圧倒的に少数です。

それに反して不正な動作をしても、それを不正と気付く事すら出来ない練習生は(ほとんどの練習生はこの範疇に属します)習得に時間が掛かります。指導者からしても不正を指摘しても理解する事すら出来ない練習生は不正を指摘する必要が圧倒的に多くなり(自分がやっている事が分からないので当たり前)、習得には時間と根気を必要とします。この場合当學院では根気よく練習生を指導するようにしておりますが、練習生の方が根負けしてしまう事があります。この場合練習生の立場で考えてみると、想定外の事を常に指摘され、その度毎に修正を加えられる事は想像以上にストレスフルな練習となっていると考えられます。この緊張に耐えられない練習生は現実にいます。

詠春拳の習得には想像以上に根気が必要です。練習生には如何に困難な状況であっても、諦めることなく向上にを目指して地道に前進していける資質が求められます。この資質に乏しい練習生は闡提です。

東洋的な身体操作が受け入れられない者
正統詠春拳はもちろん中國武術です。中國武術は東洋的身体操作を習得する必要があります。その意味では詠春拳独自の身体操作というものはなく、他の中國武術と技術的には多かれ少なかれ共有しています。この技術を功夫と言う事もあれば基本功という事もあります。

日本では明治維新以降、西洋化が推し進められ、特に体育分野では欧米に見習った教育が国策として行われてきました。医学、文化、軍備、治安維持、生活習慣、教育、官僚制度など現代の礎となる大転換が明治時代に行われています。それによって江戸時代の人と明治時代の人には大きな隔たりが見られます。日本人は明治以降150年以上も西洋文明を受け入れて生活しているため、現代人が江戸時代以前の生活習慣や身体操作を受け入れる事はかなり困難になっています。

現代日本人の中には西洋化が極まって思考も含めて東洋的身体操作を全く受け入れられない人が少なからず存在します。つまり見かけは東洋人だけれども、その実は西洋人の様な国籍のみ日本人と言う訳です。柔道でも空手でも欧米人でもやれますし、東洋的身体操作など用いずとも世界選手権金メダルは獲れます。日本人であっても東洋的身体操作が必要な場面は生活に於いても無くなってきています。そんな状況に中にあって詠春拳を日本人が修業する場合、これまでの生活の中で培ってきた西洋的身体操作を一旦棄てて、新たに東洋的身体操作を習得しなければならないと言う局面に必ず直面する訳です。

ここに至って西洋的身体操作にいつまで経っても固執して、東洋的身体操作が受け入れられない練習生がいます。西洋人が指導する西洋的な身体操作を用いた詠春拳もどきの護身術なら習得も可能でしょう。しかし、この様な人に正統詠春拳が身に付くはずはありません。具体的な内容をつまびらかにする事は控えますが、これまでの固定観念に固執して東洋的身体操作が何時まで経っても体得できない、または体得しようと言う意欲のない頑固者は闡提です。
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