11・22 歴史的な快挙!

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2015年11月22日日本詠春拳史に残る出来事がありました。横浜市中区中華街の工夫厨房(カンフーキッチン)において銭氏詠春の銭彦師傳香港カンフー武術學院の小弟・眞鍋の初会談が行われました。歴史的会談は友好的な雰囲気で行われ、これからも日本で伝統的な正統詠春拳を普及・発展させて行く事で両者は合意致しました。
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上記の目標を達成させるために両団体は技術交流や人的交流、セミナーの開催等で協力していく事で合意しました。具体的な内容についてまでは会談内容には含まれませんでしたが、基本的な両団体の立場は共有できました。将来が明るく期待できる和やかな会談となりました。
当日は突然の訪問であったにもかかわらず快く我々をお迎え頂き、有意義な時間を取って頂いた銭彦師傳には大変光栄な事と感謝致しています。また当日ご参加の門人の皆様にもフレンドリーに言葉掛け頂きありがたく存じております。正統詠春拳を修する者同士が連帯する横のつながりが日本で初めて誕生した事に管理人には感無量の一日となりました。
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次回愛知支部訪問技術指導は?

本年12月開催で話を進めておりました次回愛知支部訪問技術指導は2016年1月以降に延期となりました。2015年から2016年は地方支部の底上げと位置づけられており、特に愛知支部の技術的向上が当學院の大目標となっております。
大阪守口本部や京都支部では門人が定期的に香港の武館へ赴き、指導を受けているので、一定以上のクォリティや刺激は保持されている状態です。しかしながら愛知支部では定期的に香港へ行く者がいないため、技術的クォリティを保持する事が現実的には困難です。そこで眞鍋は定期的に愛知支部へ訪問し、指導する事によって技術的クォリティを保つよう指導しております。
基本的には年4回、季節毎での訪問を心掛けております。
練習時間は通常の毎週水曜日ではなく、土日で開催しています。練習時間は約3時間30分行い、参加者全員にしっかりと指導を致しております。
次回の愛知支部訪問技術指導は2016年1月を開催予定と致しました。当所2015年12月開催を目指して参りましたが日程調整が殊の外難しく、12月開催の目論見は断念せざるを得ませんでした。愛知支部長と協議の上、日程か決定致しましたらこのブログでご報告申し上げます。終了後は新年会の開催となるでしょう。

葉問3 トレーラー

新たな葉問3の予告編(トレーラーと言います)が出ていたので、ご紹介します。


練習者の心構え 闡提3

正統詠春拳を修業する上で向上を阻もうとする事象や心ならずも道を踏み外してしまう誘惑が自分の身の上に起きてしまう事は、正統詠春拳であればある程頻発します。管理人はそれらは一種の正統であるが故の試練の様なものと理解しています。インチキ詠春拳を始める事は、即迷いの道でありますので、この様な試練は一切起こりません。正統詠春拳に限った事象であります。詠春拳の中級者にはよく起きる事象で最終的に脱落者となります。彼らもまた闡提です。折角ある程度まで同じ道を進んできた仲間だけに人情的には寂しさを感じますが、最近は諦めの境地に立っています。脱落者に情けは無用、これが正しい評価だと思っています。
現実逃避
結果的に正統詠春拳の修行者に様々な誘惑や止むに止まれぬ事情が起こる事によって修業が継続出来なくなり、または自ら進んで道を外し詠春拳の向上の道を断念する事になります。そんな時に修業者は詠春拳の技術上では、自分では解決できない程の大きな課題を背負った時が多く、修業を断念する時の方便として止むに止まれぬ事情を持ち出すと言う場合が考えられます。自らの課題に背を向け、詠春拳の修業から離れる事によって、厳しい現実から逃避して自らのプライドを護ります。ある者は仕事の忙しさを訴え、またある者は親の介護と言います。入学や就職、結婚、出産、転勤、リストラその他人生で起きる様々なイベントが修業を阻害する要因として修業者に降りかかってきます。心の正しい修業者なら佛・菩薩・護法善神等のご加護によって修業の道は約束されていなければなりません。修業者各位の心のあり方が問われます。それにも関わらず障害の顕れる修業者は闡提です。
伝統を受け継ぐのが煩わしい
佛教の修行は師から弟子に伝えるものは、まるで両手に目一杯になってる砂を師が授け、下で弟子がまた両手で受ける様に受け継がれていくものと言われています。どういう事かと言うと、受け継いでいく物は具体的な砂という物質です。気を抜けば指と指の間から砂は洩れて地面に堕ちてしまいますので師から受け継ぐ物は砂一粒も落とす事なく自分の物とする必要があります。しかも砂は両手に目一杯の量がありますので、自分で適当にアレンジしたりすると全体の量が増えてこれも両手からいくらか堕ちてしまう結果となりますので師から授かったそのままを受け取っていくしか方法はありません。両手に目一杯の砂を受け取り悟りを得たら、今度は自分が師となり両手に目一杯の砂を授ける番となります。師は授けた砂が洩れていないか、受け取った砂が棄損していないか、受け取り漏れがないかについて常に目を凝らさなければなりません。
この様に佛教は釈尊以来の伝統を受け継いできました。佛教をバックボーンとする詠春拳も全く同じ事と言えます。詠春拳でも師から授かった拳技を正しく受け継ぎ、次の世代へ正しく継承する事は「両手に目一杯になってる砂を師が授け、下で弟子がまた両手で受ける様に」伝統を受け継いでいくべきです。詠春拳の場合は佛教よりも自由があって、勿論核心となる拳技は少なくとも同様に継承されなければなりません。枝葉末節の拳技は時代と共に変容していく可能性があります。この様に伝統を受け継ぐ事に煩わしさを感じる修業者は闡提です。
自分の都合良く伝統を解釈する
しかし、絶対に変容されるべきではない核心的な拳技を自分の好き勝手に改変して詠春拳を都合良くやりたがる人が少なからず居ます。ある人は自己を正当化してもっともらしい姿をしているので一般の人が見ても真贋の判断は極めて困難です。言う事は立派でもやってる事は無茶苦茶の場合もあります。外してはならない核心的な拳技か、許容範囲のある拳技かの見極めは指導者の大事な仕事です。もしそれが見極められない修業者の場合、正しい師から指導を受けていないと自分が道を踏み外していても気付く事が出来ないと言う不幸な事象が必ず起きます。最初は些細な差の様に思える事でも時間の経過と共に取り返しの着かない大きな差となってしまうかもしれません。詠春拳の修業者は常に詠春拳の技術体系全体を勘案して整合性をチェックして自分の拳技を適宜自分自身で修正していく、または指導者に不正を指摘して修正する必要があります。正しい拳技に修正できる環境が整わない修業者はその指導者も含めて闡提です。
闡提に限って脱落しているにもかかわらず根拠のない自信に満ちあふれている人がいるので物事を更に厄介にしています。

以上は詠春拳における中級の修業者が脱落していく3つの要素を簡単に紹介致しました。これは自分だけの問題ではなく中途半端な指導者に師事する事でも起こります。これはイカダで太平洋を横断する様なもので、最終段階まで習得すると言う事から言えば無謀と言わざるを得ません。正統詠春拳は正しい師から正しく学ばなければやってないのと同じ事です。正統詠春拳を正しい師から正しく学び、大きな旅客船で安心のクルーズによる太平洋横断を致しましょう。闡提の中には自分が闡提で脱落者となっている事にすら気付かない場合すらあります。正統と思いきや実は脱落者と言う事もあり得ます。ある意味残酷ですね。
詠春拳は闡提や脱落者をある意味量産してしまいやすいシステムになっています。なので詠春拳は世界中に普及したといっても正統詠春拳はその内の10%も満たないと推測されます。当學院は勿論梁贊嫡系主流の正統詠春拳を教授しておりますのでご安心下さい。
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